指揮者紹介 高埜颯
こんばんは!!!テストが終わって次のテストが迫っている酒井です!!
今日は指揮者紹介、高埜颯
さんです!
みなさんはじめまして〜
上越教育大学 学部3年の高埜颯といいます。
(これで たかのはやと って読むんですよ。初見で読めたあなたはスゴい)
この度新潟県学生ウインドアンサンブルにて初めて指揮をさせて頂くということで、
初めてここまで大勢を相手に指揮を振るので大変ワクワクしています。
紹介と言われても何を書けば良いのやら...って感じなのでとりあえず音楽経歴を適当に。
吹奏楽・管楽器自体は小学校5年生の時から始めまして、
今で11年目?になるのかな?(計算苦手です)
今(原稿を書いている12/26現在)は20歳なので、
人生の半分以上は管楽器をやっているようです(自覚無し)。
小5の時はトランペットを鼓笛隊でやっていたんですけど、
その頃はB♭とかFとか分からずにやって、ほとんど口伝で曲を演奏していました。
そう考えると果たしてこの期間を吹奏楽やってましたって言っていいのか
不安になりますね。
中学校からは吹奏楽部に入りました。2つ上に姉がいてクラリネットを吹いていました。
まぁその影響もあってというかなんというか。
小学校にいた頃から仲の良かった友だちと「一緒に吹奏楽部入ってトランペットやろうね!」って話していたんですけど、彼はトランペットになって私はホルンになりました。
あの頃は「なんでホルンなんか...」って思ってましたが、今となっては天職だと思ってますよ。あの時にトランペットになってたらもしかしたら今こうしてウインドにいることも
もしかしたら無かったのかもしれないですね。
高校に入っても吹奏楽部でホルンを続けました
(1年目は人数の関係で半年だけトランペットでしたがね)。
で、2年になる前の冬から指揮を始めたんですよ。1つ上の先輩に指名されて。
初めて担当した曲は忘れもしない、WindsScore出版の『栄光の架橋』でした。
1年生冬の3年生を送る会で演奏しました。その翌年には指揮始めて1年も経たない内に
『スターウォーズ 〜コンサート・セレクション〜』という
とんでもない曲を振ったりもしました。
それがあって指揮が楽しいって感じるようになっていったかもしれません。
大学に入っても吹奏楽団に入ってホルンを続けて指揮も続けて...。
ついこの間、第40回の定期演奏会を終えて無事卒団しましたよ。
アンコールに『宝島』を振りました。あの高揚感と楽しさはこれまでに指揮をしてきた
どの曲にも勝るものでした。我々は卒団しましたが、
後輩たちにはこれからも頑張っていってほしいものですね(何の話)。
今こうやってこれまでの事を振り返ったんですけど、
かなり長いこと吹奏楽やってるんだなって改めて感じましたね。
ホルンは9年?高1のトランペットを除けば8年?くらいは続けているし、
指揮も満5年は振り続けているって感じですかね。
さてさて、話が長くなってしまいました。
そろそろ皆さんも飽きてくる頃だと思いますのでこの辺で終わりにしましょう。
最後になりますが、私の演奏のモットーは
「とにかく楽しく」です。演奏者だけでなく、
その前に立つ指揮者もその意志を持って臨むべきだと考えています。
最後まで楽しんでやれたらなと思います。
ご一読感謝です。
指揮者紹介書いてくださってありがとうございました!!
本番頑張りましょう!
次の更新もお楽しみに!!